多様性を尊重すると説明コストが増大するということ
多様性とコミュニケーションコストの話である。
テーマとしては、多様性が複雑化する→
前提知識の共有が困難になる→
その部分を補うために説明することの量が増大する→
しかし現代ではSNSが顕著であるが、ホームページからブログ、Twitterと移行したように長文よりも簡略化が好まれる傾向にある→
また現実でも必要とされる情報量や前提知識が多すぎて一から説明する時間も労力も厳しい→
自身がコミュニケーションコストを被ってまで、他者に提供出来る人は限られているのではないか?
さてどのように多様性を尊重しつつも、説明コストをスムーズ及び簡略化していくかである。一つのソリューションとして思いつくのは、伝達技術の向上である。
林修先生が前に書籍に書かれていたように覚えているのだが、予備校講師で教える技術を磨く講師は多かったが、伝える技術を磨いていた講師は少ないという内容だったように記憶している。
また別の人に言わせるとその一方で予備校講師の方が、公立の教師よりも伝えることが上手い人が多いという。
理由は単純明快で、予備校講師は学校教師よりも人気という過当競争が発生するからだ、というである。真偽のほどは定かではないが頷ける部分はあるように思う。無論教師職の方も創意工夫を凝らしておられる方も多いと思う。
ただこの話を聞いて思ったことだが、予備校の規模システムにもよるけれども学力によるクラス編成されることが多いように思う。学力という観点と、ある程度レベルの学習意欲のある生徒がそろっているという環境下では、生徒の質が疎らである公立学校よりも伝達がしやすいという要因もありそうではあるのだが。
上記の内容が仮に真だと仮定して考察すると、
①教えるスキルと伝えるスキルは別々のスキルである
➁伝える技術そのものにフォーカスすることは案外難しい
➂伝える技術を磨くにはよっぽどセンスが良い人を除き、学習経験をつめる環境、競争が働く環境でないと習得が難しい
➃伝えられる側が集団である場合一律の能力であるほうが伝えやすい
更にもう一つ付け加えるなら
⑤伝達者のセンス、能力によっても左右される
ということである。
伝達技術のあることを別の言葉で置き換えるのなら、コミュニケーション技術があるということである。
多様性をビジネス面だけに焦点をあて、異業種異業界との連携、国際競争化という言葉に置き換えるのであれば、
多様化を推進すれば推進するほど伝達技術≒コミュニケーション力が求められ、コミュニケーション力が厳しい層が零れ落ちていく。*1
多様性という自由を獲得した現代人は、個性という多様性を享受した我々は昔には戻れない。昔の軍隊のように指揮官の鶴の一声で、規律が取れるはずはない。
多様性が進めば進むほど、自己主張力、交渉力といったコミュニケーション力*2が求められる側面があるように思う。