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徒然なるままにパソコンに向かいて

そもそも多様性って何だろう?

昔読んだ記事で多様性について考えされた内容があった。リンクを貼ることが出来れば良いのだが、発言者のお名前を失念してしまった。とある企業の創業者か代表者の方だったように思うのだが。うろ覚えの内容を要約すると、

 

現代は昔よりも多様性が進んだというが本当だろうか?

例えば、皆Amazon楽天で注文し、皆ユニクロやシマムラのファストファッションに身を包む。生活が一律的で、むしろ昔の方が多様性があったのではないか?という問題提起である。

 

記事を読んでむむむと考え込んでしまった。

 

私は福祉職の方とお付き合いがあるのだけど、福祉職の方の人の何人かは福祉業界の人材は多様性があるという。確かに年齢や学歴や業界経験、前職の経歴等も様々な属性の方が多いように思う。

その一方で、私の知っている狭い範囲では経歴はバラバラであるが、皆基本的には業界は違っても元会社員や従業員という属性はほぼ一致しており、自営業であるとか、起業家であるとか、福祉系教育系以外の専門家の経験者であるとか、フリーランス経験者であるとか、難関資格所有者の人に会ったことがない。介護の現場以外で海外出身者の方にも会ったことがない。地方だからだろうか。

それならば、会社員ということは共通していても様々な職種、資格ホルダー、場合によっては海外出身者の方が多い大企業の方がよっぽど人材の多様性があるように感じるのだが。

更には福祉業界はバックボーンや性格が似通っている方が多い。

勿論性格そのものは違うのであるが、共依存になりやすい性格特徴及び環境、生育歴という意味では共通項が多い人も一定数おられると思う。

 

ここで一部の福祉職の方が考える人材の多様性と、私が思い浮かぶ人材の多様性に乖離があるという事実である。どちらが正しい、間違いという問題ではなく捉え方の差であると思う。

つまり相対的に何と比較しているのか?という、レイヤーの違いの観点。

恐らく一部の福祉の方は、一般企業と比べて色々な業界の出身者がいることを多様性と認識しておられのであろうし、私は働き方という視点では多様性がないのではと考える。

Aの視点からは多様性であっても、Bの視点から見れば類型に見える、自らの価値観で線引きをしているということはあり得ることで、例えば色々な人がいて良いそれが多様性だ、という方は犯罪者を認めるということだろうか?もし認めないとするならば何を根拠に線引きをするのだろうか?そしてその線引きは万人の理解を得られるのだろうか?

多様性≒万人の理解を得られないもの、と置き換えることも出来る気がしている。

 

福祉職、医療職の方が言う多様性はノーマライゼーション的な多様性だと推測される。ダイバーシティでもよいけれど。

世間一般の方が考える多様性はおそらく、NIMBYニンビー)的な多様性である。要は、俺や私に迷惑をかけなければ、という但し書きがつく。

こちらも捉え方の差、であるのだろうと思う。

 

さて質問です。あなたにとっての多様性は何ですか?