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徒然なるままにパソコンに向かいて

僕がオススメの本を聞かれると困るワケ

時々困る質問が「オススメの本は何ですか?」というもの。

 

基本的に相手にオススメを聞くときには、相手の経験や知識をライブラリ替わりに使って、自分に必要とされる情報にアクセスしたい、ということが本質だと思うのだけど、これは図書館の端末と同じで、そもそも検索条件の提示がないと難しいよね、という話である。

特に、読書や食事は、”好み”という個別性のものに多分に左右される。

逆にさほど困らないケースもある。それは私がある程度相手望む検索条件を想定出来るという条件であり、困らないケースというのは大まかに分けて3パターンであって

 

①相手の趣味嗜好を熟知している。難解度や読書経験量を含む。好みや幅が似たもの同士を含む。(相手に合わせることが出来る)

➁相手が逆にある程度自分の好みを把握し、相手があえて守備範囲を広げたい場合。(相手が自分に合わせることが出来る)

③雑談の一環としての質問であるためさほど真剣に取り合わなくて良い場合。(話題作を臨機応変に答えれば良い)

 

①➁の場合何らかのお互いを知れる継続的な人間関係、もしくは似たような同読書経験が前提になってくるよう思える。

逆に上記の何れかに当てはまらない場合、例えば見ず知らずの人に質問する場合は、どういったジャンルで、どういった作品が好みかある程度明確にする必要性があるのだと思う。

逆にそれすらも定まらず、大枠なジャンルだけホワンとある場合は、自分でネット検索することが最適解だと思う。昔と違って、大抵レビューやらあらすじ、感想が沢山ヒットするのだから。ある程度自分で調べてから質問しても遅くはない。

 

専門家に聞くのも一つであるけれど、専門家同士ではないと③のケースに近い回答にならざるを得ない気がしないでもない。つまり、大多数の人にとって、王道的なもの≒間違いの少なさそうなものであって

間違いの少なさそうなもの≠自分に合うもの であることである。

 

このことは頭の片隅にとどめておいた方が良いと思うのだ。

私は料理やお菓子のレシピ本を集めるのが趣味なのだけれど、レシピ本というのは難易度が千差万別で、写真で工程を丁寧に載せであるかどうか、調味料の分量が分かりやすいものか、ちゃんと焼き時間の目安や、失敗しやすいポイントがあるかどうか…良いレシピ本かどうかは、読書の料理経験にも大分左右されるし、何よりも作家との相性(シェフ、料理家)左右される。

薄い本が分かりやすいとかというと一概にいえず、厚い本がの本が丁寧で分かりやすかったりもするし、分かりやすくても味が好みでなかったり、材料が糖分が多い傾向があってちょっと…という場合があるだろうと思う。

 

結局、失敗覚悟でいくつかの書籍に当たるしかないだろうと思う。一見遠回りの用でいて実は近道だ。そして遠回りした結果思いがけない掘り出し作品に出合えることもあるかもしれない。

細かい条件を指定せずに「オススメの本は何ですか?」と聞かれたときに困ってしまうのは、「(間違いや失敗をしたくないので正解だと思われる)オススメ本は何ですか?」と聞かれているように感じてしまうからだと思う。

被害妄想だ、と言われればそれはそうだろうと思うけれど。

そこまで真剣に考えずに王道のものを答えることがbetterなのかもしれない。

自分がこの記事を書いたのは、鴻上尚史さんの下の記事を拝見したからだ。

dot.asahi.com

鴻上さんは正解がないこと、正解を探すことそのものが尊いこと、方法論の1つとして演劇や映画よりも読書を100冊読破してほしいと伝えている。

100冊としたのは沢山の数をこなすことでしか見えない景色があること、本文にも書かれているけれど他のエンターテイメントは受動的だけれど読書は能動的だからだ。

 僕が初心者の方にオススメ本を聞かれると困るワケは、多分鴻上さんが上記の記事で仰りたかったことと本質的に近いものがある気がしている。