雨と猫と珈琲と読書と

徒然なるままにパソコンに向かいて

支援者も環境因子の一部であるということ

福祉の勉強をして、実際にいくつか関わらせていただいて違和感を感じたことを記録しておこうと思う。

最近の障害に対する考え方、障害モデルは個人因子だけでみるのではなく環境因子と個人因子の両方でみる、ことがスタンダートである。

一昔前は、個人を訓練し鍛えることで一般人に近づける、という手法であったが、今は環境を調整していく、合理的配慮をしていくことが主流になっていると思う。

福祉の方の大体の方は、こぞって多様性が大事だ、障害を作っているのは社会だ、と言う。

私は思うのだ、社会って何だろう?社会を作っているのは何だろう?と。人それぞれの解があると思うのだけど、社会を作っているのは人の意識で、人の意識の集合体が社会であろうと。

人一人一人の意識が社会を構成しているのだとしたら、我々支援者の意識のあり方も社会を構成する一部であると言えると思うのだ。社会が障害を作っている一面があるとしたら、我々支援者も柔軟にしなやかにその都度、自分の価値観や意識のあり方を修正していく必要があるのだと思う。我々の意識もまた障害を作っている側面があるのだから。

であるにも関わらず、一部の福祉職の方が障害は社会が作っている、と主張するとき、その社会は企業であったり、行政であったりすることが多い。社会を仮想敵にしてしまっている時があるけれど、社会に変われというのならその前に我々がまず柔軟に思考し行動していくしかないのだと思う。

利用者の方に、認知を変えるよう訴える方がいるけれど、人に変われとせまるのならまず自分から変わることが筋であろうと思う。

 

なんだろうな、勿論全員ではないし、一部の方ではあるんだけれど、障害を作っているのは社会である、として社会の仕組みの制度行政を仮想敵にして、自分は善意側の人間である、と思っている方に対して、言語化し辛い違和感を感じたので、アンチテーゼの一環としてこの文章を書いておく。